1.ワイナリーについて
世界南端のワイン産地・セントラルオタゴで“愛”を叫ぶ…。セントラルオタゴの中心街からすぐのところに、“恋が実る樹”として古くから地元の人々に愛された大樹が葡萄畑のど真ん中にたっている。ウーイングツリー・ヴィンヤードは、この樹を取り囲んでいるピノ・ノワールの畑から葡萄をつみ、ワインを醸している。
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フラットな地面に一面のピノ・ノワール畑が広がるセントラルオタゴの中心地、クロムウェルに、古くから「この樹の下で告白すれば恋が成就する」と言い伝えられている大樹がある。その名もウーイングツリー(Wooing Tree)。“Wooing”とは日本語で「愛を叫ぶ、告白する」という意味。今でこそその数は減ってきているらしいが、かつてはこの地の多くの男性(女性の場合もあったかも?)が、意中の人にその心の内をあかしてきた。今でもしばしばこの樹の下でウェディングがひらかれるとのこと。
セントラルオタゴはニュージーランド最南端のワイン産地であり非常に寒い、冷涼な地。島国であるニュージーランドで唯一、準大陸性の気候条件を備え葡萄の成熟期(夏の終わりから秋)には気温差がなんと25℃(昼は30℃で夜は5℃)。そのため、ゆっくりと葡萄が熟し、急激に果実が甘みを帯びることが少ない。
ウーイングツリー・ヴィンヤードは全て自社所有のピノ・ノワールの畑から収穫しワインを醸造している。一部シャルドネも作ってはいるが、ピノ・ノワールだけで6種類ものワインをつくっており、世界的にも認められた“ピノ・ノワール屋さん”である。
2.ヴィンヤード(葡萄畑)
“ピノ・ノワール屋さん”であるウーイングツリー・ヴィンヤードの葡萄畑は全て平地にあり、周りは高い山々に囲まれている。一度この葡萄畑と回りの美しい景色を見たら目に焼き付いて離れない。およそ44,000本の葡萄樹を植え、葡萄畑としてスタートしたのが2002年。
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もともとは、セントラルオタゴで北向きの斜面で葡萄畑とワイナリーを始めようとしていたが、結局は地質の良さをとりウーイングツリーを取り囲むように平坦な土地を選んだ。その判断は正しく、全26ヘクタールのピノ・ノワール畑の内、16ヘクタールの畑でプレミアム・クローンと呼ばれる5、6、115、667、777の栽培に成功した。多種多様なクローンと醸造技術によりバラエティーに富んだピノ・ノワールのラインアップを揃えている。
最新IT技術、データマネジメントを通じて葡萄畑を管理する仕組みも取り入れている。灌漑と土壌の栄養度、湿度などをコンピューターにより管理し葡萄の品質低下、収量低下のリスクを下げている。
3.セントラルオタゴのコミュニティー醸造チームヴィンプロ(VinPro)と醸造家/ピーター・バーテル(Peter Bartle)
醸造チーム・ヴィンプロ
セントラルオタゴでは家族所有の大小様々な葡萄畑が存在している。彼らで醸造施設をもちワインづくりをするにはリスクがあり、この地のいくつかの葡萄農家と契約し、それぞれの葡萄畑のテロワールを活かしたワインをつくるチームが発足した。
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ヴィンプロ(VinPro)と呼ばれるその醸造チームは大きな醸造設備を有し年産800トンものワインを製造する。その85%がピノ・ノワールであり、セントラルオタゴがなぜピノ・ノワールの名醸地と呼ばれるかがわかる気がする。
2004年に発足したヴィンプロは2005年に初ヴィンテージを世に出した。発足より2009年までこのチームを率いた醸造家はキャロル・バン(Carol Bunn)であった。2010年5月から、新たにピーター・バーテルがウーイングツリーの醸造家としてヴィンプロに所属し現在も総責任者としてワインづくりに情熱を注いでいる。
②醸造家/ピーター・バーテル(Peter Bartle)
ピーターがウーイングツリーのチーフ・ワインメーカー(ワイン醸造責任者)としてヴィンプロのチームに加わったのが2010年5月。それまでに彼は極めて様々なワイナリー、醸造所でワインづくりのキャリアを積んできた。
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サイクリング、音楽、ワイン、食をこよなく愛する醸造家ピーターはニュージーランドのワイン産地・ホークスベイでワインメーカーとしてのキャリアをスタートさせた。その後ヴィラマリア・エステート(Villa Maria Estate)で5年、3か月の短期就労で米国カリフォルニア州ナパバレーのジョセフ・フェルプス(Joseph Phelps)、1年間はアシスタント・ワインメーカーとしてマールボロの有名ワイナリー/フォレスト・エステート(Forrest Estate)に勤務し、その後セントラルオタゴのオルセンズ(Olssen’s)で4年間ワインメーカーとして働いた。ヴィンプロに加わって、現在までウーイングツリーのワインを担当している。
4.ワイン情報